取るに足らない話ですが…
コピーライターを目指すまで
<197X年>
愛知県豊橋市に生まれ、誠の名を授かる。(姓名判断はとりあえず吉。)
<小二>
作文が評価され、「お昼の校内放送」(懐)で読み上げることに。
ところが、自分より前に読んだ児童が放送委員の予想を遥かに超えて噛み倒し、
時間がなくなり、無駄に緊張しただけで教室に帰される。
<小三>
「お楽しみ会」で桃太郎をモチーフにした劇をやることに。
そして脚本・演出もこなして大盛況となるが、
自分が演じた「ばぁさん」が主役以上に目立ってしまい、
翌日避難ゴーゴーとなる。(涙)
<中一>
「ルーキーズ」のような、荒んだ卓球部に入る。
<中三>
新入生勧誘イベントで歯の浮くようなスピーチを披露。
一言目でドン引きしていた全校生徒も最後は納得してくれたらしく、
終わった時にはその日一番の拍手が起こる。
そして開校以来初めて「第一希望/卓球部」の生徒が第二希望へまわされることに。。。
・・・言葉で人が動く様子を、初めて目の当たりにする。
<高校時代>
卓球部に入るが、またも指導者に恵まれず、絶望するが、自分で練習メニューを開発するなど、創意工夫と努力の末、かろうじて1度だけ、県大会へ出場する。
また3年の文化祭では「日本初!ツーバイフォーの犬小屋」というキャッチフレーズとともに、はりきって犬小屋を売ろうとしていた先生に対し、
「先生、この場合の『日本初』って“日本全国どこにでもある日本初”の中の
『日本初』ですよね」と水をさし、意気消沈させる。
<18歳>
一度は健全な環境で選手生活を経験してから引退したい。
でも団塊Jr.の歴史的倍率を抜けて入れる大学はない。
かといって実業団で卓球をやることを目的に仕事を選ぶ気にもなれない。
・・・一瞬、人生に悲観しかけるが、「月刊 卓球レポート」のインカレの記事に専門学校があったことを思い出し、資料請求して入学する。
<19歳>
各県トップクラスの実力を持つ同級生達に囲まれ、恵まれた選手生活を送る。
日頃の練習の精度を上げるための卓球日記が、
いつしか人間観察日記に変わって行く。。。
<20歳>
空気とリンゴが美味しかった長野県の専門学校を卒業し、地元に帰る。
「後を継いだ方がお前のためだ」と言われ、大工の修行に出る。
「やめた方がお前のためだ」と言われ、それをやめる。(恥)
その後、前向きな転職(※)にこだわり、自分に出来る仕事の中で最も難しいと思われるコピーライターを目指す。
※日本に何万人もいる大工になれなくても、その後、数千人しかいないコピーライターになれれば前向きかな?
と。。。